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第13回 仁右衛門島の、仁右衛門さん

 名刺の肩書きに“島主”とある。平野仁右衛門さんは、代々、仁右衛門を名のり、県指定の名勝地・仁右衛門島(3万平方米)に観光をなりわいとして暮らしている。たった一軒で、38代(推定)も、一つの島に住みつづける例はめずらしい。島には数々の伝説があるが、元禄16年(1703年)に、鴨川を襲った大津波で、系図、古文書等がほとんど流失したという。

 島には、伊豆・石橋山の戦いに敗れ、逃れてきた源頼朝を一晩かくまったといわれる「かくれ穴」や、日蓮上人にまつわる話が伝わっている。近年、千葉県史研究財団の人が島を調査し、わずかに残っている島の資料から、上人が名を成した後にも、仁右衛門島を訪れた形跡があると話したそうだ。ちなみに日蓮上人は、地元鴨川市の生まれである。平野家は元来天台宗であったが、後に日蓮宗に改宗したという。

 もし、自分が代々“仁右衛門”を継がなければならない家系に生まれたとしたら、どうであろうか? 仁右衛門さんの父上は「将来はお前の好きなことをやれ」と言ってくれたという。当時海軍であった仁右衛門さんは、商売が苦手にがてで、海軍工場の経理の仕事を望んでいたが終戦を迎えた。
仁右衛門島を継ぐことになったとき、仁右衛門さんの考えは、はっきりしていた。なるべく近代化しないで、頼朝の頃からの自然を残すこと、である。自然を守ると口で言うのは、たやすい。島は一枚岩で、水はすべて雨水にたよる。台風が来れば目と鼻の先の対岸へ渡し船を出すことができない。平野家の子供たちは学校の皆勤賞がもらえないのだ。

 島主の大切な仕事は、毎日波を観察することだという。まれに防波壁を越えてくる波も、波の腰を折り、うまく誘導する設計になっている。火防のために、常緑樹やアロエなどを増やし、燃えやすいかやなどを減らす。花好きの奥さんが島中に花を植える。島主は宝永元年(1704年)に建て直した家屋に住み、建物を観光客にも公開している。
古くて新しい癒しの島が、仁右衛門島である。


島から太平洋を望む

38代島主・平野仁右衛門さん

源頼朝のかくれ穴

仁右衛門さんの住居


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