南房総富浦総合ガイド資料集

大房の樹木 マテバシイ

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マテバシイ

大房岬の森林は「マテバシイ」が優占

大房岬の森林は、台地の上のものと、台地の縁から斜面にかけての2つに分けられます。
そして台地の上の森林は、圧倒的に「マテバシイ」が優占しているマテバシイ林で、大房特有の景観を作り上げています。

「マテバシイ」=「トウジイ」

房州では、マテバシイのことを「トウジイ(唐椎)」と呼びます。
トウは中国の唐。唐の椎。外国から来たとか、大きいとかの意味があるそうです。
トウジイの実は、椎の実に比べるとかなり大きいです。

マテバシイの実は食用。オモチャにも変身

マテバシイの実は、やや細長い形をしたドングリです。戦時中は食用としていたこともあります。
鍋で煎ると外側の硬い皮が割れるので、渋皮をむいて食べます。渋みはほとんどありません。
香ばしいですが、美味しいといったものではなく素朴な味です。
(椎の実の方が甘みがあるようです。)
旧丸山町の縄文遺跡(加茂遺跡)からは、人の歯型のついたマテバシイの実が見つかっているそうです。
実の底を磨ぎ、軸を差すとコマになったり、実の脇を磨いで中の白い実をきれいにかき出してしまうと小さな舟になったり、子ども達のオモチャの材料にもなりました。

マテバシイの名前の由来【マテバシイ・馬刀葉椎・全手葉椎】

マテバシイの名前には諸説があるそうです。
@「待てば椎」の木になる。本当だか嘘なんだか。でももっともらしい?
Aマテバシイは「馬刀葉椎」とも書きます。
 「馬刀(まて)」と呼ばれる馬を斬る刀があり、葉がその刀に似ているところからきているようです。
B二枚貝の「マテガイ」からきているとも。
 垂直に砂にもぐった姿が「馬刀」に似ているところから。
Cもう一つ「全手葉椎」とも書くそうです。
 これは、葉が手のひらを広げたように広がってのびてゆくことが名前の由来だそうです。

マテバシイは人工的に植えられました

大房岬は「照葉樹林」といってもマテバシイは植樹されたもので、自然に成立したものではありません。
大房岬に軍の要塞施設が建設された時、要塞の回りに植えられたものと思われます。
戦後は、国から土地の払い下げを受けたときに、地元の人々は境の木(境界)として植えました。
自然の状態では、同じ種類の木が3本以上、直線に並ぶことはないと言われています。遊歩道から、少し林の中に入ると、境となっている木がきれいに並んでいるのがよくわかります。
※運動広場への入口右手に、マテバシイに囲われた土地があり、その様子は、遊歩道からも確認できます。

海苔ひびの材料にするためだったマテバシイ

マテバシイが、富浦に入ってきたのは明治の頃で、上総の海苔栽培の漁師が、海苔ひびの材料にするために、八束の山持ちの人たちに植えるように頼んだことに始まるようです。
「大きく育った枝を出荷してくれれば高く買う」という約束だったので、薪を作って売るよりははるかに有利だと考えて、植えられました。
ところが、マテバシイが大きく育って売れるようになったとき、上総では海苔栽培に網を使うようになり、木の枝などは不用になってしまったのです。
植えた人たちはがっかりしましたが、そのかわり、マテバシイは質のよい薪炭や防風樹になることを知りました。

房総の新緑の風景をつくる

5月から6月にかけ、マテバシイは、鮮やかな黄緑色の若葉を揃え、太陽の光を受けて、房総の山々を黄金色に輝かせます。若葉とともに花も黄色く咲き、黄金色を一層引き立てます。
マテバシイは、代表的な房総の山の風景を彩る樹ですが、その反面、萌芽再生力が高く、伐採されるといち早く再生するため、群落を作りやすく、群落内は葉が覆うために非常に暗く、ほとんど林床(木の下)には植物が生育しないといった面もあります。