南房総富浦総合ガイド資料集
大房ガイド手本 竜善院跡

ここは「竜善院跡」・「お宮跡」です。
このあたりが「本殿」。

今から千年くらい前になりましょうか、
当時は平安時代、中央集権で、京の都から、役人が派遣されて来ていたのです。
ここ安房の国にも、「国司」、今で言う「県知事」が派遣されました。

国司の一番の仕事は、税金を集めることです。
細かい政治上のことは、土地の豪族たちに任せて、役人は税金徴収です。

役所があったのは、旧三芳村の国府です。国府はその国の中心です。
源親元が国府へ赴任してきました。はるばると京都から来たのです。
その時に、一番良く働いてくれた忠義な家臣の貞連が、旅の疲れでしょうか、働きすぎで亡くなってしまったのです。

親元は大変、嘆き、悲しみました。
「都から、こんな離れたところにやって来て、
お前に死なれて、私はどうしたらいいのか・・・」と。

そして土地の人から、「大房のお不動様にお願いしたら何とかなるかもしれない」と聞き、
当時ですから戸板に乗せて、はるばると三芳村から大房まで運び込みました。

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安房古蹟集(文政初年)
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現在の竜善院跡

この下に小さなお堂があって、そこにお不動様が祀られていたんです。
そこに運び入れて、一生懸命みんなでお祈りしたんです。

そうしたところ、二日目のお昼過ぎ、死んだと思われていた、その貞連が、目をパッチリ開いて生き返ったのです。

みんな、大喜びです。
国司、県知事である親元は、こんなすばらしいお不動様を、こんなみすぼらしいお堂に祀っておくのは申し訳ない。
もっと立派なお宮を造ろうと山の上を平らにして、ここに造ったのです。
ここが、その場所です。

お堂をはじめ、建物が七つあったそうです。
その中には、仁王門や鐘つき堂まであったそうです。
当時としては大変立派なものです。

今でも私たちの周辺にあるお寺で、仁王門、鐘つき堂があるお寺は、そう多くはないはずです。
こと、富浦にお寺はたくさんあっても、そのようなお寺は残念ながらありません。

館山市の那古観音にはありますね。
豊房の方にもありますね。でも、新しいんです。
千年も前に造られたということはめったにないことです。

そういったお寺がこの大房岬にできたのです。
県知事である国司が、熱心にお参りに来るのですから、国中の人たちがお参りに来たのです。
大変栄えたわけです。

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大房ガイドの様子