南房総富浦総合ガイド資料集
堂山の白きつね

懸造りで知られる「崖の観音」がある山を「堂山」と呼びます。この山のおよそ西半分を「コノクラ」、東半分を「コメーショ」と呼びます。堂山の西は大房岬、東は西行寺の山を経て、坂東三十三番札所・那古観音がおわします那古山へと山並みが続きます。大房岬の辯天様の洞窟は、この堂山をとおり、那古観音まで続いていると言われ、那古の辯天様と大房岬の辯天様は、この洞窟で行き来をしておられると信じられております。

昔、堂山の麓に、一人の赤ちゃんがいました。
肌の色つやもよく、まるまると太っていて、誰にでもにこにこと笑いかけるので、近所のみんなからかわいがられていました。野良仕事へ出る人たちも、赤ちゃんの顔を見てからでないと仕事が手につかぬといって、朝に夕に立ち寄るといった有様でした。


ところがこの赤ちゃん、いつの頃からか、毎晩きまった時刻になると夜泣きをするようになりました。それもただの夜泣きではありません。それはそれは疳の立った激しい泣き方で、そうなると誰があやしても治まるものではありません。やがて、次第次第にやせ衰えていきました。親たちは気が気ではではありません。どのお医者さんに看てもらっても首をかしげるばかり。あちらのお寺でご祈祷を、こちらの神社でお祓いをとかけずり回りましたが、一向に験が現れません。赤ちゃんの衰えは増すばかりです。

「どうしたものだろう」人々は寄ると触ると、この噂ばかりでした。
「そういえば」ある人が、今気がついたと言い出しました。赤ちゃんが夜泣きをするという時刻に、堂山の上を大房岬に向かって、巨大な鳥が渡っていくような、不気味な羽音が聞こえるというのです。「そいつだ!」「退治してくれべえ!」村人たちはいきり立ちました。

早速その夜、腕自慢の鉄砲打ちを中心に、堂山の東の麓で時の来るのを待ちました。月は刻々と西に傾き、今は大房岬の山の端にかからんばかり。
「早うこねえかなぁ、暗うなっちまう」
その時、東の方から物音が聞こえました。羽音です。次第に近づいて来て、西行寺山から堂山の麓へ、何やら得体の知れぬ黒いものが飛び降りてきた時、待ち構えていた火縄銃が火を噴きました。

この得体の知れぬものは、一旦は落ちたものの、あいにく弾は急所を外れたとみえて再び飛び上がり、堂山の尾根を目指して登ってゆきます。でも羽音には力強さがなくなっています。「先回りして、待ち伏せだ!」みんなは、この山裾の道を此倉山まで一散に走りました。

バサ、バサバサバサ、バサ

やがて、弱って乱れてはいますが、あの羽音が聞こえてきました。火縄をふっと吹いて火挟みにはさみ、火蓋を切って待ちかまえます。月はもう山の端に隠れ、あたりは真の暗闇です。
怪物の目玉でしょうか。燃えるようにい、二つ並んだ丸い玉が、右の梢から左の木の太枝へ、また右へと木々を伝うようにして近づいてきます。
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矢頃は良しと引き金を引けば、闇をつんざく轟音一発。

「ギャウ−」
鳥とも獣ともつかぬ奇怪な声とともに赤い玉が消えました。と、静まり返っていた山の木々を揺らし、巨木も根から抜けよとばかりに吹き寄せる冷たい大風!
みんなは身動きもできず、地面にへばりついているのがやっとでした
やがて、あれほど吹き荒れた風も治まったので、みんなは這這の体で山を下りました。

翌日、人々は二手に分かれ、山を見に行きました。堂山の東に行った人たちは、山裾にこんこんと湧く泉を見つけ、此倉山へ登った人たちは、そこに血まみれになって死んでいる白い大きな狐を見つけました。

村中みんなが、「もう安心」と喜び合い、赤ちゃんの家ではお祝いの宴が開かれました。しかし、残念なことに赤ちゃんは、このお祝いの宴の最中に真っ赤な血をドクドクと吐いて死んでしまったのです。

村人たちは、「これはとんだことをしてしまった。あの狐は大房岬と那古を往き来する、辯天様のお使い媛だったに違いない」と考えました。
そこで、あの白狐が死んでいたところへ石の祠を建てて、白狐の霊をお祀りしました。
それが、いま「此倉山の山の神」と呼ばれている石の祠なのだということです