相州の「石橋山の合戦」で敗れた源頼朝は真鶴半島から房州へ逃れてきました。その上陸地が勝山海岸です。安房の地で鋭気を養った頼朝はその後鎌倉幕府を開き天下を治めました。
- 住所:
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千葉県安房郡鋸南町竜島地先
地図
- 電話:
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0470-55-4061(鋸南町歴史民俗資料館)

源頼朝は、治承4年(1180年)8月に伊豆で平家打倒の兵を挙げましたが、相州石橋山の合戦で敗れ、28日に同国土肥郷の真名鶴岬(現真鶴岬)から小船で脱出し安房の国房総へと逃れます。翌29日、わずかな供を連れて、鋸南町竜島に上陸しました。竜島の村人たちは、頼朝を歓迎して、いろいろと世話を焼いたと伝えられています。源氏にゆかりのある安房の武将・安西景益は、頼朝を護るため自分の館に招きいれます。頼朝はそこから、房総の有力豪族に使者や手紙を送り味方を募り、勢力を盛り返しました。上陸したとされる場所には、碑が建てられており、再起再生の地として注目を集めています。