富浦のビワの歴史

富浦のビワ生産のはじまり
約250年前ごろからビワが作られ始めました。

迷信(めいしん)で栽培(さいばい)する人が増えない
ビワの木には「ビワをつくるとその人は若くして死んでしまう」など迷信(めいしん)があり、ビワを作る人は増えませんでした。

富浦でビワ栽培(さいばい)がさかんになる
幕末(ばくまつ)から明治以降(いこう)には、ビワに対する迷信(めいしん)が薄(うす)らぎました。そこで高く売れるビワを作る人が増えました。

献上(けんじょう)ビワ
明治42年に始まりました。天皇(てんのう)、皇后(こうごう)両陛下(りょうへいか)などにビワをお送りする行事(ぎょうじ)です。

(ふくろ)かけで品質が良くなる
大正4年に袋(ふくろ)かけが始まり、ビワの品質が良くなりました。

化粧箱(けしょうばこ)
大正9年から化粧箱(けしょうばこ)が使われ始め、出荷が便利になりました。

ビワを大きく育てる
富浦の人たちはビワを大きく育て、おくり物用にもできるように工夫しました。

人手不足
昭和40年代からは人手不足が始まりました。そこでケーブル、草刈機(くさかりき)、モノレールを使い、また、道路をよくすることでトラックなどが使えるようになりました。

ハウスビワ
昭和60年から始まりました。寒害(かんがい)に困らず、平地でもビワ生産ができます。また、早い時期に実がなるので高く売れます。

参考資料・出展
 びわ 房州ビワを中心とした栽培法  中井 滋郎著 株式会社とみうら発行
 富浦のびわ 富浦町長 遠藤 一郎発行