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古代〜現代まで |
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大房岬では先土器時代の黒曜石片が発見されたり、大和時代の高塚古墳跡が残されていたりと、遠い昔からこの土地で人が生活していたことがわかっています。
はるかに時代は流れ、里見氏が登場する室町〜江戸を経て、「富浦」という地名が登場したのは明治時代のこと。南無谷村、豊岡村、原岡村、多田良村が合併して富浦村となりました。そして2006年、安房の7町村が合併し南房総市になり、富浦は現在の南房総市富浦町となっています。
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里見八犬伝の郷 |
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伏姫と八房、そして八犬士が登場する壮大な物語、滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』。里見氏ゆかりの場所が、富浦には今でも各地に残されています。
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富浦のびわ栽培 |
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富浦でのびわの生産は約250年前に始まりました。当初、びわには「作った人は若くして死んでしまう」などの迷信があり、また、生産地として北限に近く寒害を受けやすいこともあって、生産者はなかなか増えませんでした。
しかし栽培方法や品種の改良により、日本一のびわの町として知られるようになり、皇室に献上するまでになりました。現在では、露地よりも早い時期に出荷できるハウスびわの栽培も盛んになってきています。
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戦争と大房岬 |
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大房岬は、古くは幕末から砲台が配備され、軍事要塞として防衛の役割を果たした場所でもあります。明治時代には日露戦争に備えて訓練を行った砲弾の跡、そして太平洋戦争時には弾薬庫や格納庫等も作られました。
今では戦争の暗い印象など感じさせない自然公園になり、なお残る施設は散策に最適な探検コースとなっています。
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