ビワの語源(ごげん)

「枇杷(びわ)」と「琵琶(びわ)」はどちらが先なのでしょうか?

 実は、果実のビワは大昔からあったのですが、その名前は形が、楽器(がっき)の琵琶(びわ)に似ていることから付けられたものなのです。

 昔の記録(きろく)からビワの歴史をたどってみましょう。

 2世紀(せいき)ごろに書かれた「釈名(しゃくめい)」につぎのようにあります。

「枇杷はもと胡(こ)(中央アジア)の地に出(い)づ。前に押してひくのを枇(び)といい、手前にひくのを杷(は)という」

 これは琵琶について述べたものです。楽器(がっき)の琵琶は、中央アジアの遊牧民族(ゆうぼくみんぞく)がゲル(ユルト)や、馬の上でひきならしたものです。

 ビインとはね、パアンとかきならすのでピパ。これがピハ→ビワと変化したといわれています。楽器の琵琶の胴(どう)が木でつくられるので木へんをつけて「枇杷」と書き、のちに琴(こと)の一種(いっしゅ)だというので「琴(こと)」の字の上をそろえて「琵琶」と書くようになりました。

 植物(しょくぶつ)の枇杷が楽器の琵琶の地位を奪(うば)って「枇杷」と表記(ひょうき)されるようになったのは、5〜6世紀ごろではないかと言われています。つまり枇杷が栽培(さいばい)されだしたころと同じ時期(じき)です。

 ビワの実はまさに楽器の琵琶の形をしています。つまり「楽器の琵琶の形をした実のなる木」という意味で、これを枇杷と表記するようになりました。このように、植物名(しょくぶつめい)の枇杷は、楽器のビワが中国に広まったのちに登場(とうじょう)したことになります。

【琵】
「琵琶(びわ)」とは、(イ)果樹の名。びわの木。「枇杷」とも。(ロ)弦楽器(げんがっき)の名。びわの実形(じっけい)の胴(どう)に棹(さお)がついており、イラン起源(きげん)の四弦(しげん)またはインド起源(きげん)の五弦(ごげん)の弦楽器(げんがっき)。中国の阮咸(げんかん)(四弦)とともに奈良時代(ならじだい)に日本に伝来(でんらい)した。


参考資料・出展
 びわ 房州ビワを中心とした栽培法  中井 滋郎著 株式会社とみうら発行
 朝日世界植物百科          朝日新聞社編
 漢字源               学習研究社編