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南房総 旅の玉手箱

第20回 伝奇の里、富山


なにやら白い玉が見える。

 南房総市・富山とみやま町には、北峰、南峰をもつ双耳峰そうじほうの山・富山とみさんがそびえている。
富山はご存知「南総里見八犬伝」の舞台であり、ふもとにこの物語のヒロイン伏姫と犬の八房がこもった籠穴ろうけつがある。江戸の戯作者・曲亭馬琴は、この地を一度も踏まずに106冊に及ぶ世界一長い物語を書いた。『やよ八房、人には貴賤あれども、皆類をもって友とせり、畜生を良人おっととせし例はなし、このよしを弁(わきま)えず情欲をげんとするならば、汝を殺し我も自害せん、といえば八房心得ている様子。伏姫は刃をおさめて八房の背中に乗り、霧深い富山へ入った・・・』。

 浦辺和雄さんは、伝奇と歴史の織りなす里に生まれ暮らして82年。終戦の年の10月、千葉師範(今の千葉大学・教育学部)を卒業するとすぐに南総海辺のまち・和田の小学校の教員になった。退職が昭和60年、人生の大半を教育にささげ、その後は、町から依頼されて「富山町史」の編纂へんさんに加わった。昭和30年、岩井村と平群へぐり村は合併して富山町になる。富山の平群天神社の秋祭りは、一泊一見の価値がある。平群9カ村の「担ぎ屋台」は、巨大な行灯あんどんというか、燃え立つような屋台を、引くのではなく、数十人の男女衆が担ぐのである。私の若い頃は、と浦辺さんはいう、「今の屋台は、補助的に車輪が付いているので少しは楽ですね。大昔は道も狭く、通れないところは川の中を担いで御仮屋(一晩神輿みこしを安置する小屋)の広場に向かったそうです」。連なった屋台の明かりが川面かわもうつり、見物人をよろこばせたことだろう。

 江戸末期、ここ米沢部落の者がお伊勢参りの折に京都に立ち寄り、祇園祭りを見物した。村に帰り早速、青竹4本の柱を組み和紙などでくるみ、中の灯明は菜種油を使い、京風屋台をつくったという。「あんまりむと油がこぼれる」という話が残っている。
 「祭りの日は朝から花火を上げます。花火の製法は各村の秘伝で、長男にしか伝えません。長さ7メートル程の木製の花火筒から花火が上がると立体でつくった牛の落下傘が下りてきます。昔は各家で牛を飼い酪農が盛んでした。集乳所へ乳をもっていき、っこん勘定(代金)をもらい、仲間で一杯やるのが、部落の人の楽しみだったそうです・・・」。


郷土の歴史を静かに語る浦辺和雄さん。


天神社にあった昔の打ち上げ花火の筒

天神社近くの広場に集合した「担ぎ屋台」


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