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潜水漁

・器械潜水
 房総の器械潜水は、明治11年に白浜根本村の森精吉郎がアワビ漁などに導入したことに始まり、明治13年(1880)には、金谷村(富津市)にも導入され、急速に普及することになります。しかし、機械潜水は、素潜りとは異なり、長時間水中に滞在でき、両手を自由に使えるため、アワビを幼貝を含めて多量に採取することになり、水産資源の枯渇を招くことになりました。実際、明治18年(1885)に、夷隅郡太東岬沖で発見されたアワビの漁場・機械根では、器械潜水による乱獲が行われ、アワビの枯渇する危険性が出ることになります。そこで、導入後10年を経ない明治19年(1886)には、素潜りによる漁期である4月から10月31日までの間、器械潜水は禁止されることになりました。

 機械潜水では、潜水士は「カブト」と呼ばれるヘルメットをかぶり、布にゴムを貼り付けた潜水服を着用して海中に潜りますが、潜水士のヘルメットには空気筒が連結されており、海上の船に据えられた空気ポンプから、この空気筒を通してヘルメット内へと空気が送り込まれることになります。そして、潜水士は、浮力で体が浮き上がらないようにするため、重い潜水靴を履き、胸には鉛製の錘を掛けていました。

器械潜水模型
器械潜水模型

ヘルメットと錘
ヘルメットと錘
 潜水士と海上の船との交信は、富津周辺では昭和40年頃に電話が導入されましたが、それまでは船と潜水士を結ぶ命綱で行われており、例えば、命綱を潜水士が7回引いて合図すると、「海底から上にあがる」というような形で連絡を取り合っていたとのことです。
 また、器械潜水では水深20m以上の深い海底に潜る場合が多く、水圧の関係から潜水士にとって潜水病は恐ろしい病気でした。静岡県生まれで、明治18年以降、千葉県で潜水夫として活動した丹所春太郎(1866〜1911)は、この潜水病の予防と治療法に尽力し、水深の深いところからゆっくりと浮上する「ふかし」と呼ばれる減圧療法を開発したことで知られています。
 なお、器械潜水は、現在でも、富津岬周辺では盛んに行われていますが、漁獲する貝類は、アサリを中心として、トリ貝、バカ貝、ミル貝、平貝などとなっています。
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