南房総富浦総合ガイド資料集

天皇献上品・枇杷のお話

【びわ品種「大房(おおぶさ)」名前の由来】

昭和30年(1955年)頃、旧富浦町のある農家が大きくて、きれいな実のなるびわの樹を持っていることが話題になっていました。
このびわは、703号と呼ばれていましたが、大正から昭和の初期にかけて国立の園芸試験場で行われた、びわの育種事業で育成されたものであるということが判明しました。これは当時の千葉県農業試験場安房分場(館山市亀ヶ原)の平野暁技師の調査によるもので、話題になっていた農家とは、この事業の現地試験を担当していたのです。
この事業の成果としては、瑞穂(昭和11年)、津雲(昭和11年)、戸越(昭和14年)の3品種が命名発表されましたが、系統番号703号なるびわは選抜されませんでした。しかし、現地試験をしていた農家が、これは良いびわであるとして、密かに保存していたのでした。
国は、現地(富浦町)の評判を受けて命名発表することとなり、現地で名前を付けてよいこととなりました。びわ関係者が集い検討の結果、大房岬に因んで、「大房(たいぶさ)」と命名して国に報告をしたのでした。ところが、この読みが重箱読み(上が音、下が訓の語で構成される漢字熟語)であると指摘され、結局は果実が大きいという含みを持たせて「大房(おおぶさ)」ということで落ち着いたのでした。
そして昭和42年(1967年)に、国の育成品種として正式に発表されました。
当地では今でも『ななさん』や『たいぶさ』などと呼ぶ人がいますが、これは当時の名残で『おおぶさ』が正しいということになります。
この品種は、寒害、がんしゅ病に強く、また、丈夫で、びわの跡地でも比較的よく育つので、瞬く間に房州全域に広がり、いまや房州びわの主要品種となって、全作付け面積の80%にも及ぼうとしています。

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古来から、びわの葉は効用が高いと言われている

【びわの寒害】

びわの寒害とは、花器(蕾、花、幼果)が低温の障害を受けることをいいます。症状としては、胚が死滅して以後の発育が止まる場合と、幼果の皮が傷ついて、その傷が成熟果まで残る場合があります。後者の場合、この果実を『はちまき果』と呼んでいます。いずれの場合も果実の収穫は望めません。
びわの花器は、その発育過程で耐寒性が異なります。蕾で−9℃、花で−5℃、幼果で3℃がそれぞれの限界温度です。これより低温になると、あるいはこの温度でも長時間続くと寒害がおこります。
この温度は花器そのものの温度で、周辺の気温ではありません。樹冠の中のいろいろな位置に存在する花や幼果は、付近の枝葉の影響で均一な温度ではありません。樹冠表面に露出した花果の温度は付近の気温より低く、樹冠内部の花果の温度は付近の温度と同じか高いのが普通です。したがって、寒害を引き起こすような低温が来た場合にも、前述の花器の生育過程における耐寒性の差を含めて、樹全体が一律に寒害を受けることはありません。
寒害を受けにくくするためには、なるべく開花期を遅らせることと、花房を樹冠内に着けるようにします。

【植物としてのびわ】

原産地は中国揚子江(長江)最上流の四川省奥地で、下流に向かって進化しながら分布を広げていったと考えられています。現在、我々が栽培している普通びわに限れば、その分布は北緯30〜50度の狭い範囲で、温帯果樹です。わが国に古くからある在来種と呼ばれるびわは、多分、古い昔、中国から海を渡って種子が流れ着いて、自生したものと考えられます。
ばら科、びわ属と分類されます。びわ属にはこのほか12種類が知られていますが、中国南部に多く、日本では一般的には存在していません。

【ハウスびわ】

ビニールハウスで、加温を前提にして栽培するのをハウスびわといいます。房州びわ地帯で、現在10数haの栽培があります。
その利点は
  1. 寒害を完全に防止できるので、標高の低い平地でも栽培が可能で、生産が安定します。
  2. 露地栽培の作業と競合しないので、経営面積を拡大できます。しかも作業は軽労働化できます。
  3. 前進栽培で、有利に販売できます。
ハウス栽培で用いられる品種は、富房(とみふさ)が最も多く、全面積の約80%を占めます。このほか、瑞穂(みずほ)、房光(ふさひかり)、里見(さとみ)、大房(おおぶさ)などが用いられています。ハウス栽培での果実の味は、露地栽培の果実と比較して、特徴をあげれば次のとおりです。
  1. 糖度、酸度ともにやや高めです。
  2. 肉質がやや粘質となり、瑞々しさにやや欠けます。
  3. 総じて味は濃厚といえます。