南房総富浦総合ガイド資料集

富浦の海岸を歩く

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南無谷海岸から富浦湾を見わたす

【黒崎から南無谷崎まで】

富浦海岸の最も北にあたる黒崎には、岩井との境界があります。このあたりの海岸には元禄段丘があり、その下に関東大地震で隆起した広い海食台が広がっています。
山が海岸までせまっているため、砂浜はわずかであり、砂の色が貝殻のかけらが多いためか黄色っぽく見えます。打ち上げられている貝殻は大型の貝殻です。
<主な貝殻>
サザエ、ハリサザエ、トコブシ、アワビ、オオヘビガイ、ホシキヌタ、ヤツシロガイ、ボウシュウボラ、カコボラ、チリボタン、フネガイ、ヒメアサリ
<主な海草>
ヒジキ、ワカメ、アラメ、カジメ、カヤモノリ、トサカノリ、テングサ、アオサ
<主な海岸植物>
ハチジョウススキ、アシタバ、ボタンボウフウ、イソギク、ラセイタソウ、ダンチク

〈元禄段丘(1703年)〉
1703年(元禄16年)に、関東大地震よりも規模が大きいといわれている巨大地震が発生しました。これを「元禄地震」と呼びます。
この地震により房総半島南部は、かなり広範囲にわたり地盤隆起を生じました。場所によっては、数百メートル沖合いまでが陸となり、その時に海岸段丘ができました。

〈アシタバ(セリ科)〉
伊豆半島、三浦半島、伊豆大島、八丈島などに自生していますが、富浦では小浜と石小浦
にたくさんの自生が見られます。
アシタバは、「今日、葉を採ってもあしたは葉が伸びている。」というほど生長が早いと言
われています。揚げ物、和え物、佃煮などに調理され、血圧や血糖値を下げると言われてい
ます。

小浜の港や海岸の砂浜では砂の色が黒っぽく見えます。小浜海岸から崖の下の大きな岩を次々によじ登っていくと石小浦海岸に出ることができます。海岸植物、海草、打ち上げ貝は、小浜海岸とほぼ変わりませんが、石小浦海岸の方が小浜海岸よりも干潮時に広い磯浜があらわれ、多くの磯の生物を見ることができます。

<主な生物>
ヤドカリ、スガイ、クボガイ、バテイラ、イシダタミ、ヒメアサリ、アメフラシ、マダコ、ウメボシイソギンチャク、ムラサキウニ、バフンウニ、イトマキヒトデ、クモヒトデ、ヤツデヒトデ、ヒライソガニ、マメコブシガニ、イソクズガニ、ケヤリムシ
※ウツボやガンガゼが岩場に潜んでいるので、磯棚には手を入れないように!

【南無谷海岸を通って千歳ケ浦まで】

「千歳ケ浦」・・・聞きなれない地名かも知れません。訛って「ツットシ」と言われてもいます。
前述の海岸と違って砂浜があり、海水浴場も広く、海辺を歩くとハイガイやカキの化石を拾うことができます。化石の年代は不明ですが、沖のほうにこれらの化石を含む地層があり、流れ寄ってくるようです。
富浦には4列の砂丘が見られますが、海岸に見られる砂丘は最も新しい砂丘で、元禄地震以降に形成されたものです。
今、海岸にあるハマユウは自然のものではなく、種子をまいて育てたものです。砂丘の植物群落の中に、コマツヨイグサ、ヤセウツボ、アメリカネナシカズラなどの帰化植物が入っています。
一時、アメリカネナシカズラがハマヒルガオに寄生し、オレンジ色の網をかけたようになってしまい、地元の老人会の人たちが取り除くといったこともありましたが、平成15年頃からこのような現象はほとんど見られなくなりました。
昭和30年代半ばまでは、オカヒジキやハマヒルガオからクロマツ林へと移行する典型的な海岸植物の群落を見ることができたこの海浜も、今は防潮堤や道路が作られて、かつての面影はありません。
打ち上げられている貝殻は岩礁性のものが多く、小浜や石小浦に見られるものよりも小型です。
〈新田川の自然を守りましょう!〉
南無谷の海に注ぐこの川には、今でも自然がいっぱいです。富浦で一番大きな岡本川にも負けないほど、生き物が豊富な川です。
海水が差し込む河口付近には、マハゼ、ダボハゼと呼ばれるチチブ。春に上流から下って産卵し、秋に成長してまた上流へ戻るスジエビ。そして、それらを狙って海から入ってくるウナギ。海で産まれて上流まで遡上して成長するモクズガニなど、たくさんの生物を観察することができます。
まさかと思う生物「アユ」もこの川に遡上することがあります。子鮎のときに大雨を利用して、国道下の水止めを遡上し、JRの線路の下辺りまで昇っているのを確認できます。
清流の魚、アユが棲むこの川を、これ以上、汚さないように私たちも努力していかなくてはいけません。

【南無谷の大藪】

昭和30年代までは、妙福寺の前は大きな松林でした。この松林のことを「大藪」と呼んでいました。この大藪は、漁師にとっては魚の寄り集まるところ「魚付林(うおつきりん)の役をしていました。
魚は海岸に緑が多いと、水の中から陸を見て、まだこの先にも海があると安心して岸に寄ってくるのだそうです。科学的には解明されてはいませんが、魚付林の森が海に影をつくり、朽ち果てた木々が海に流れ、プランクトンが発生し、また、雨が降っても、森に吸収されてから海に流れ出すので、海水温の変化が少なく、魚の住みやすい環境になると言われています。
しかし、土地の利用状況が変わり、住宅ができたり、また漁法も変わり、波打ち際の漁から船での漁になったために、大藪の存在価値も変わりました。

【法華崎】

60m位の崖が海にせまり、以前は満潮時には歩いて廻ることができませんでしたが、今は法華崎遊歩道が作られて、常時通れるようになりました。
海触崖を背にして雀島、ふなむし島(「いなむし山」と呼ぶ人もいます)を望むこの一帯は、映画やTVのロケ地にもなることがあります。NHK教育テレビの「自然とあそぼ」で「ヤドカリ」を取り上げた番組も、この二つの島が映されています。
この辺で見られるヤドカリは、右のハサミが大きく北方系(南方系のヤドカリは左のハサミが大きいか左右ほとんど同じです)です。打ち上げ貝にウチムラサキが多く見られるのは、この磯の特色で、沖の方にこの貝が多数生息していると思われます。
雀島は、鈴木勇太郎氏が見守るクロサギの営巣場所で、雀島というよりは「クロサギ島」だと氏は言われています。2月から雀島の元禄段丘の上で、クロサギがつがいをつくるためのダンスを見ることができます。また、静かに観察していると、餌をねらう様子や巣に出入りする姿なども見ることができます。

【豊岡海岸と逢島】

砂浜が開けて海水浴場に適している海岸です。海底の砂の下にサンゴの層があり、泳いでいると砂を通して足の裏にサンゴが触れることがあります。このサンゴは4000年余り前に生息していたもので、館山市沼のサンゴよりも年代は新しいものです。
逢島(おうしま)は大正12年(1923)の関東大地震の時までは完全に島でしたが、地震で隆起して陸続きになり、その後さまざまな工事がなされ今日に至っています。逢島の西側に海食台が広がっていますが、大地震までは波で洗われていた場所です。
逢島には植樹されたハマボウがあります。ハマボウは南方系の植物で、和田の方には自生が見られますが、富浦ではこの1本だけです。

【原岡海岸】

富浦小学校の下の砂浜には、小型の貝殻が多く、特にサクラガイやベニガイが目をひきます。南に進んだ豊年川の河口付近にはカワニナやツノガイの貝殻があります。カワニナは川に住む巻貝なので、条件がよければ豊年川にホタルの幼虫が育つかもしれません。
岡本の海には磯がなく、遠浅の砂浜が広がり、海水浴場に適しています。昭和30年代までは、ナミノコ、フジノハナガイ、ハマグリ、バカガイなどたくさん採れました。昭和40年代にはバカガイが大発生したこともあります。この時は隣の館山湾でも大発生しました。
また、岡本川河口付近では、一時、マテガイやアゲマキがたくさん採れたことがあります。
打ち上げられた貝殻を見ると、マテガイ、サクラガイ、ミゾガイ、オキナガイなど、殻の薄い、砂泥地に住む貝が多く見られます。
海岸植物は、開発が進み人工物が多いため、ハマヒルガオ、ハマダイコン、チガヤなどが少し群落を作っているのが見られる程度です。
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原岡海岸

【西浜海岸】

館山湾に面しているこの浜は、富浦のほかの浜と異なり、やや粒の粗い黒っぽい砂粒の浜です。おそらく大房岬を形成する鏡ケ浦層が崩れて、そこに含まれているスコリアに起因しているものと思われます。
打ち上げられている貝殻は、サザエ、トコブシ、ボウシュウボラ、カコボラなど、大型で殻の厚い貝が多く見られます。
ワカメは、南無谷や豊岡の磯のものとは異なり、切れ込みがなく、肉薄です。切れ込みの
あるワカメを「ササワカメ」、西浜や大房岬周辺のものを「オオッパ」と呼んで区別しています。

〈特産・オオッパワカメ(大っ葉ワカメ)〉
3月は天然ワカメの収穫シーズンです。富浦はワカメの大産地ですから、解禁になりますと、漁師たちが一斉に切りとりを行います。特に葉肉の柔らかさで人気のある「大っ葉ワカメ」が繁殖する大房岬南岸は、ワカメ漁の船で賑わいます。
オオッパのワカメ切りが始まったのは、思いのほか新しく昭和30年(1955)頃です。なぜかといえば昔は魚がたくさんいて、いつも漁がありましたので、海草など売らなくともよかったからです。ワカメは漁師でも浜に流れきたのを、自家用に拾うだけだったのです。

ワカメ切りは、最初は「戦車」と呼ばれるマンガ(熊手)が無かったので、箱めがねで海底を覗きながら、竹ざおで作った長い柄の鎌で切りました。鎌の柄に使った竹は「大名竹(だいみょうちく)」という品種のもので、八束の山奥の農家から魚と交換で求めてくると、たき火で温めて曲がりを直し、節を抜いて砂を詰め、使いよく仕上げました。

話は変わりますが、八束の人たちは、漁師が山から切り出した長い竹を担いで帰る姿で、ワカメが生長したことを知り、豊作であればいいなと思いました。拾ってきて食べようという訳ではありません。「ワカメが当たれば、照入梅(てりにゅうばい)で米が豊作」ということわざがあったからです。